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Re:Re:みちくさ

ゆるくいきてます

残花亭日暦

 

残花亭日暦 角川文庫

残花亭日暦 角川文庫

 

 

関西弁には力がある

話し言葉にも 書き言葉にも

作者の田辺聖子さんが 関西の方なので

会話はもちろん関西弁で しかもそれが生き生きと描かれているものだから

ついつい読んでいるこちらの脳内イントネーションも

関西弁になってしまう

小気味よいリズムに乗って読み進められる

 

で 九月くらいから ほんとにちまちまと読み続けて
ようやく本日読み終えた日暦

たかが一冊の本に 数か月もかけてしまうとは…

それほんまに読みやすいん? 読みにくいから時間かかったんちゃうーん?

と思うじゃん? 思うじゃん?

ちっちっちっ… 

 

だってさ おっちゃんが旅立つ日を

出来るだけ遅らせたかったんやもん
読み進めていくうちに
おっちゃんが弱ってくのがわかってしまって
辛かったんやもん…
文庫本でも 全然分厚いものじゃなくて
ほんとなら一日くらいで読み終わってしまいそうなものを
こんなにも時間をかけて じっくりじっくり読んでしまったのは
おっちゃんがこの世にいる時間を
出来るだけ長引かせたかったからに他なりません
紙媒体というのは こちらのさじ加減一つで
いくらでもそういう時間を増やせるのが便利っちゃあ便利です

最初わたしはおっちゃんのことを

おせいさんの所に
「あ~そび~ましょ~」と言いながらやってくる
単なる近所のおっちゃんだと思ってた

小学生だったわたしには
書かれている内容なんかまるでちんぷんかんぷんだったけれど
お二人の艶めいた話やら お酒を飲みながらするような話などを
ちょっぴり大人になったような気分で
ドキドキしながら そして どこか後ろめたいような気持ちで読んだ記憶だけは

やたらと鮮明だったりする


たしかタイトルは
「女の長風呂」というエッセイのようなものだったと思う
こんなタイトルの本を
親に隠れて読んでいた
ものすごい背徳感と ものすごいワクワク感がせめぎあい
ワクワク感のほうがいつも勝っていた
だから 本の内容うんぬんよりも
そのワクワク感が記憶に刻まれている

のちにこの「カモカ」というおかしな名称のおっちゃんが
おせいさんの旦那さんだと知ることになるのだが
まさかここまで素晴らしいご夫婦だったなんて
だいぶ以前に放送された朝ドラ「芋たこなんきん」を見るまでは知らなかった


日歴には 病気に冒されたおっちゃんの看護をしながら
仕事もこなす 多忙なおせいさんの正直な気持ちが
綴られている


「かわいそにワシはあんたの味方やで」

病床に臥しながらも
介護に疲れ果てるおせいさんをどうにかして励まそうと
七五調で話しかけるおっちゃん
それを聞いて 涙が出そうになるのをぐっとこらえたおせいさんは
日歴の中で
「かわいそうと思ってくれる人がいるというのは
 しあわせなことだ」
と書いていた
これを読んでわたしは ちょっと目からウロコだった
「人からかわいそうだなんて思われるなんていや!!」
と 大した意味もなくつっぱりがちなわたしに
おせいさんが「それはしあわせなことなのよ」と
優しく教え諭してくれているような気がした
一番慈悲深い感情なんじゃないかとさえ仰っていた

確かに

赤の他人が向けてくる
「かわいそうに」
という視線ほど 惨めなものはないけれど
自分が信頼を寄せる人が向けてくれる
「かわいそうに」
という視線には 同情を飛び越えた何かがある
だって おっちゃんの言ってた「かわいそうに」は
単なる「かわいそうに」じゃないんだもん
ちゃんとその後に「ワシはあんたの味方やで」までくっついてるんだもん
きっとそこの違いなんだろうな

かわいそうに って 言いっぱなしじゃなくて

ちゃんとその後 あんたの味方でおるで ってこと

示してもらえるなんて 幸せだろうなぁと思う


おせいさんは 喪主のご挨拶の中で
「生まれ変わっても またおっちゃんと夫婦になりたい」
とゆうてはった
そりゃそうやろな
こんなこと言うてくれる人と
来世もまた一緒におりたいと思うわ

人間 何が一番幸福かと言ったら
旅立った後 残された人に
こんな風に思われるような生き方をすることが
何よりの幸福なんだろうなぁ
そして 願わくば
体に魂があるうちにそれを実感してみたいなぁ
体から魂が離れてしまった後
自分の葬式を上から眺めながら
誰かの弔辞を聞いて
「おまえ… ほんとはそんな風におもってたのかい…
 知らんかった… 
 それやったら はよ言うといてくれよ…」
とか思ったりすんのだけはいやだなぁ
弔辞を聞きながら
「あーねw あんたがそう思ってたってこと知ってる知ってる~(・∀・)!!」
なんて言いながら
自分の葬式を眺めたいもんだなぁと思う

だから 出来うる限り
生きているうちにその幸福を自覚して
それを伝え合うように生きていけたらなぁと思う
そのことが ますます幸福を深めていってくれるんだろうなぁ と
おせいさんとおっちゃんの日歴を読んで思った

とりあえず わたし的に
人間に向かってそれをするのは
非常に勇気が必要で おまけに相手も必要で

現時点ではかなり実現不可能に近い行為であったりするので
毎日飼い猫に話しかけては練習させてもらっている


「かわいそにワシはあんたの味方やで」

一生のうちで こんなセリフを聞ける機会は
果たしてあるのだろうか?
もしかすると一度もないかもしれない
このセリフは
長い長い時間を大事に大事に過ごしてこなければ
絶対に聞けるものではない超レアなセリフだもんね

おっちゃん ほんまに粋なお方やなぁ
おっちゃんがもし生まれ変わってたら
今わたしと結婚して欲しいくらいやわ
となると ライバルはおせいさん?!
うわぁぁぁぁ(´Д` )
あかーん(´Д` )