AX

Re:Re:みちくさ

ゆるくいきてます

赤プリの想い出

赤プリ

正式名称 赤坂プリンスホテル

1955年開業

2011年3月 営業終了

そして

2013年7月 全ての解体工事が終わり

その姿は跡形もなく消えた

 

かつて

ザ・コンボイというパフォーマンスグループに入れあげていたわたしは

赤坂プリンスホテルで開催される彼らの

クリスマスディナーショーに行くことを

1年の締めくくりとしていた

 

当時SMAPの振り付けをしていた黒須さん

女性を魅了するダンスを踊る石坂さん

はたまた 女性と見まごうばかりの舘形さん

お芝居の上手な右近さん

最高のボーカリスト橋本さん

長身で低音ボイスで女房思いの徳永さん

タップで酔わす瀬下さん

そして  彼らを束ねる今村さん

 

この8人で構成されていた

(途中橋下さんと右近さんが脱退して 現在は6名)

 

わたしは 中でも瀬下さんのタップに魅せられてしまい

膝の柔らかさからくる華麗な足捌きといい

まろやかなタッピングといい

さらに加えて甘い声といい

心底惚れ抜いて

同じ公演に何度も足を運んでしまった程だった

 

今思うと お金なんかなかったはずなのに

よくもあんなに何度も観にいけたものだな…と不思議に思うのだが

なければないなりに どうにかなっちゃうもんだなぁとも思ったりする

 

それにしても

何故今更赤プリなのか?

 

それというのも

ホテルオークラ東京の解体のニュースを見てしまったからである

 

解体という言葉と赤プリ

わたしの中ですでにイコールになっていて

毎日少しずつ時間をかけて小さく小さくなっていった赤プリ

ツイッターの写真で確認しながら

大切な思い出の場所が跡形もなく消えていくのを

ただ切ない思いで見守っていた2013年が蘇って来てしまうのだ

 

ディナーショーの当日は

少しでも綺麗にしていきたくて

ホテル近くの美容室を予約して

髪をセットしてもらい

ホテルの部屋に戻って

フォーマルな洋服に着替え

赤プリクリスタルパレスに向かうのが習いだった

 

メンバーも赤プリに宿泊して

連日のディナーショーの公演していたので

運が良ければエレベーターで鉢合わせすることもあった

 

そこでわたしはまたしても

引き寄せちゃったのである

 

赤プリ近くの美容室に髪をセットしに行くために

いそいそとホテルの部屋を出て

エレベーターのボタンを押し

到着したそれに乗り込もうとした時

なんと目の前に 稽古着に身を包んだ瀬下さんがいらしたのだ

 

心臓はまるで早鐘のようで

何か声をかけた方がいいのか

それともそっとしておいた方がいいのか

全くわからなかったし

瀬下さんも瀬下さんで

「声かけるなら早くかけてくれっ!気まずいっ!」

みたいな雰囲気丸出しで

日本一微妙な静けさが漂うエレベーター内だった

今思うと何故あの時お声をかけて

握手の一つでもしてもらわなかったのか悔やまれるばかりだ

 

そうこうするうちに

夢のようなエレベータータイムは

あっという間に過ぎ去り

二階のクリスタルパレスへと

瀬下さんは消えて行った

 

ぁぁ… 待って… 待って… もうちょい…

 

初めて間近で見た憧れの人に

息が止まりそうだった…

 

瀬下さんはステージの上で観るよりも

少し小さく見えたけれど

ステージの上と同じくらいに

素敵だった

 

翌日 チェックアウトの時は

今村さんと同じエレベーターになった

にわかに浮き足立つわたしたちを見て

すぐさま自分たちのディナーショーを観に来たお客だと

察知してくださった今村さんは

「このたびはディナーショーにお越し下さりありがとうございました!

お気をつけてお帰りください!」

と気軽に笑顔で声をかけてくださった

そして今村さんはわたしたちの荷物を見て一言

「こんなに何入ってんだよ〜!」

とおっしゃり  笑いながらバッグをポンッと叩いた

とってもフレンドリーな方である

そう訊かれたわたしたちは

「ふふふ 秘密です」

と答える心の余裕すらあった

人を緊張させない雰囲気を持った方だった

 

こんな風に

普段はビデオや舞台でしか観たことがなかった方達と

普通にエレベーターに乗り合わす事ができるなんて

ホテルのディナーショーならではの事だ

 

あの時の事は

全てが鮮明で

大分時間が経ってしまったにもかかわらず

微塵の欠落なく思い出すことができるのだ

 

 

そして

もちろんホテルオークラ東京にも

赤プリに負けないくらい思い出がある

 

コンボイと並行するように

宝塚観劇をしていた当時

好きなジェンヌさんのお茶会は

ホテルオークラ東京 または

新高輪プリンスホテルで開催されていた

 

お茶会という言葉に馴染みのない方のために

ざっくり説明させていただきますと

お茶会とは

自分が応援しているタカラジェンヌさんに

一番近くでお逢いすることが出来て

トークや握手会やプレゼントコーナーなど

要はファン感謝デーのようなもので

トップに近づくにつれて

会場も一流ホテルになっていく

ゆえに

わたしのような超下々の者でも

あの由緒正しいホテルに足を踏み入れることが出来たのだった

 

お茶会がある日は

とりあえず一張羅を着こんで

出来るだけ小奇麗にして

姿勢もしゃんと正して

一流ホテルにいる自分への違和感を

感じまくりながら

だいぶ緊張してホテルに入る

 

赤プリのディナーショーの宿泊プランと違って

お茶会の時は宿泊はしないので

客室内がどうなっているのか見たこともないし

見ようにも 普通に一泊二万円以上するホテルに泊まるだなんて

当時のわたしには考えられないことだった

(いや 今も考えられないけどさ)

 

好きなジェンヌさんの「会」というものに入り

お茶会の座席は「会」への貢献度によって決まる

出待ちや入り待ちにどれくらい参加したか

ジェンヌさん宛てに

どれくらいお花を入れたか

公演を観に行くだけでいっぱいいっぱいだったわたしのお財布から

お高い胡蝶蘭の鉢植えなんか

とてもご用意できるはずもなく

一口分のお花代を気持ちとして

振り込ませていただくだけの

ド底辺会員だったし

出待ちも入り待ちも日常的に出来ない遠方のわたしに回ってくるお席なんか

当然一番後ろのテーブルだった

 

観劇の時に使用したオペラグラスをごそごそと取り出して

一番前におられるジェンヌさんのお顔を拝みながら

ほぅ~っと溜息をつくのが

なんとも幸せなひとときだった

 

最後に控えし握手会にドキドキしながら並び

ハンカチをぎゅうっと握りしめながら

自分の番が来たら何を話そう?と考えている間に

順番が回ってきて 頭の中は真っ白になり

何一つ気の利いたことが思い浮かばず

「がががんばってください」

なんて言っちゃってる ダセェことこの上ない自分がいた

そんなダセェわたしに

笑顔で

「ありがとうございます」

と応えてくださる優しさに

涙が出そう  というか  泣いた

 

さっきまで舞台の上に立っていた人に

こんな間近で しかも 握手までしてもらえて  ありがとうとまで言ってもらえるなんて

身に余る幸せ! と思っていた

 

お茶会が終わると

しばらくホテルの中をウロウロしたり

無駄に何度もトイレに行ったりして

ムーンライトえちごの発車時刻まで

時間を潰していた

普段は入れない異空間を

心ゆくまで堪能しまくっていた


ホテルの方にすれば

こいつ今すぐつまみ出したい

という思いでいっぱいだったはずだ


そんなホテルの方の気持ちをよそに

帰りのムーンライトえちごでは

幸福と興奮のあまり 一睡も出来ず

そのまま仕事に向かうという無茶なことをしていた

 

演劇が好きだったおかげで

色んな経験をさせてもらったな と思う

今はあの時の全てが懐かしい
 
 
また 舞台を観に行きたい
コンボイはまだディナーショーをやっているのだろうか?
瀬下さんのタップは まだあの時みたいに柔らかい音を奏でてくれるだろうか?
もう本公演はやっていないのだろうか?
ディナーショーだけ?
 
昔は 彼らのディナーショーのチケットは
プラチナチケットだった
最初から最後まで息をつかせぬノンストップな公演に
度肝を抜かれた
こんなに色んなものを詰め込んだビックリ箱みたいな
エンターテイメントがこの世に存在するんだ!と思ったものだ
 
メンバーのみなさんも 年齢を重ねられて
公演の内容も あの頃みたいなノンストップではきっとないはず
でも それも行ってみなければわからない
もしかすると 今も
「走り出したらとまらない」の
キャッチフレーズ通りに
息をつかせぬステージを繰り広げているかもしれない
それはそれで
こっちと年を重ねてしまっただけに
ちょいとばかししんどいかもしれない

 
今年の年末 再び彼らに逢いにディナーショーに行ってみようか
赤プリ以外で彼らを観るなんて 考えられないけれど
どうやら新高輪の飛天の間でやっているらしい
まだまだあの広い飛天を埋められるくらいに
人が集まっているのか…
感慨深い
 
懐かしくて泣けてきそうだ
 
もう 想い出の場所を訪ねたとしても
想い出のカタチはそこにはない
 
地下鉄の赤坂見附駅で降りて
階段を上って地上に出て 
赤プリに向かうまでの緩い坂道を
どれだけワクワクしながら登ったことだろう
 
あの時の気持ちは 少しも色あせることなく
わたしの中でちゃんと生きていて
生々しいくらいだ
 
 
ホテルオークラ東京の建て替えのニュースと共に
赤プリのことを思い出して
芋蔓式に有名ホテル擬人化妄想にまで及んでしまうくらい
わたしにとっての赤プリ
とても大切な時間を たくさん過ごさせてもらった聖地みたいな所だった
 
今よりずっとお金もなくて
でも時間だけはふんだんにあったあの頃のわたしが
SPを引き連れた総理大臣が来ちゃうような赤プリ
足を踏み入れていただなんて
身の程知らずもいいところだったな と思う
 
あの時確かにわたしがあの場所にいたことを
証明してくれる建物はもうないけれど
蘇る記憶の一つ一つが
今も余すところなくわたしの中にある
 
赤プリが解体されて以来
もうそこに赤プリがないことを確認するのがイヤで
赤プリ側の出口からは出ていない
多分 これからも行かないだろう 
 
だって赤坂見附駅を降りた先には
聳え立つ赤プリが見えていなくてはならないのだから…