四年前のこと
あの日から四年が過ぎようとしている
ようやく自分の心が少しずつ整理されて
あの日の事をちゃんと思い出せるくらいになれたので
自分のためにも書き残しておこうと思う
うまく出来るかわからないけれど
人生は小さな悲しみと小さな幸せが
寄り集まって出来ているのだと思っていた
時に 度を超した悲しみのようなものに
巻き込まれたりもするけれど
本気で度を超したものではなくて
振り返るといつも
「あぁ わりと大したことなかったな~」
と思えたりする
四年前のわたしは
確かにそう思っていた
2011年3月11日
その日 わたしは初めてのスマホに買い替えるため
ショップに赴いて あれこれ説明を受けていた
設定も何もかも全てしてもらい
無事にスマホに機種変更出来た事に安堵し
近くのセブンイレブンでお茶でも買おうと物色していた時
それは起こった
お店の棚がぐらぐらと横揺れし
上にぶら下がっていた宣伝用のポップが
波打つように弾んでいた
何が起こったのか一瞬判断できなくて
わたしはお店の棚を必死で押さえてしまっていた
店員さんに
「棚いいですから 逃げてくださいっ」
と言われた
そう言われて初めて我に返り
脱兎のごとく店外に飛び出したのだった
外に出てもしばらく気持ちの悪い横揺れは収まらず
ひとまず家族に連絡をした
中越地震の余震が再び起こったものとばかり思っていたので
まずは中越地方に住む弟たちに連絡を入れた
電話はすぐに繋がり 無事だとのこと
それから両親に連絡をして
その後 東京に住む弟に連絡を入れた
しかし 東京の弟とはなかなか連絡がつかず
家族みんなで心配していた
そして
東北に住むわたしの友人にも連絡を入れようとした時
友人から
「こんなに散らかっちゃったよ!怖かった」
という写真つきメールが
新しく買い替えたばかりのスマホに届いた
第一号メールだった
そんな記念すべき第一号メールが
彼女の無事を報せるものであってよかったと
心から安堵して
「まだ出先で情報がよく掴めてないんだけど
そっちが震源地だったの?!
余震とかあるかもしれないから
くれぐれも気をつけてね
ここまで大きいとライフラインも止まっちゃうかもだから
電源は大事にしといて
何かわかったらまたメールするね」
と返信した
それから一旦帰宅し
東京の弟と一刻も早く連絡をとらなければと
パソコンの前に座り
スマホを握りしめ
災害用のページに何か書き込みはないかチェックを繰り返していた
数時間もすると
弟が災害時用のページに書き込みをしてくれていたのがわかり
直接連絡はつかないまでも
無事だということがわかったし
ほどなくして
本人から両親に直接連絡があって
ホッと胸をなでおろした
なすすべもなく
テレビに映される津波の映像をぼんやりと眺めているしか出来なかった
彼女から送られてきた何もかもが倒れまくっている写真を見ながら
こんなことをもしも自分が体験したら
終末感しか持てないだろうな…
と思っていた
そしてふと
それっきり音信不通になってしまっている事に気づき
今どんな様子なのかを知りたくて
再度メールをしてみた
待てど暮らせど返事はこなかった
今のようにLINEなどのツールがあれば
通常時にはかなりその存在が問題視されている既読機能の存在価値が
最大限に上がる唯一の場面なのだろうが
当時はそんなものも存在せず
ただひたすら相手からの返信を待つのみだった
一度連絡が来ていただけに
最悪の事態を全く想定していなかったし
電源がなくなって
音信不通が続いているものとばかり思っていた
だが
それから一週間後
最悪の報せがもたらされた
人は 理解出来ないようなことが起こると
まずそれを理解しようとするよりもまず
ただ茫然とするだけなんだなぁと思った
彼女の生存を示す証拠が
わたしのメールボックスの中にちゃんとあるじゃないか
なんかの間違いだ
そんなわけない
ものすごい勢いで事実を否定にかかろうとする脳みそ
絶対に生きていると信じて
慣れないスマホから何度も何度もメールを送り続けた
でも
もう 彼女からメールが返ってくることはなかった
そうしているうちにも
続々と届くほうぼうからの報せに
わたしの否定力が追いつかず
メールも返ってこない事実が
大きく圧し掛かってきた
もう認めざるをえなかった
でも
認めたからと言ってなんだというのだ
認めれば 彼女は帰ってくるのか?
三月十日まで スカイプで話をしていた彼女が
もういないなんて
どうやって認めればいい?
あの時のわたしは相当おかしくなっていたと思う
体重はみるみるうちに減っていき
30キロ台になってしまうのではないかという勢いだった
こんなにも度を超した悲しみが
この世に存在するのか と思った
こんなに度を超した悲しみが存在するのであれば
度を超した幸せも存在しなければ割に合わないとも思った
それからというもの
彼女を想起させるようなものから
遠ざかるようになった
フィギュアスケートがそれだ
フィギュアを観ることが辛くて
落ち着いていられなくて
直視することが出来なかった
それからは どうやって日々を過ごしてきたのか
まるで覚えていない
いつのまにか立ち直っていたような気もするし
ずっと引きずっていた気もする
ただ
三年目にさしかかろうとする去年のソチオリンピックで
再びフィギュアを観れるようになった
この事実を受け入れるまで
三年を要したということになる
いくらなんでも度を超し過ぎている
もう
こんな悲しい想いはたくさんだ
天に向かってツバを吐きたくなるような気持ちで
ずっと過ごしてきた
でも
ようやくこうして書き残しておけるくらいになれた
そうなってみて初めて
涙が溢れてくる
あの頃は泣くことすら出来なかった
大切な人の死に 流す涙もなかった
今 ようやく泣くことが出来て
心が元に戻ろうとしているのかもしれないな と思う
わたしがここまで立ち直れたのは
周りの人達のおかげもさることながら
ツイッターで新しく出逢った人々との
楽しい時間のおかげでもあると思う
相当に荒んだ気持ちで始めたツイッターで
優しい人たちにたくさん出会って
和やかな時間を重ねていくことが出来た
それがわたしにとって
どれほどの救いになったか
ここでどんなに言葉を尽くしたとしても
語り尽くすことなんか出来ない
感謝なんていう言葉では
到底伝えきれないものだったりする
大切な人を失ってしまったけれど
わたしが過ごす毎日は
ちゃんと 別な大切な人達で彩られている
新しく繋がれた人達との
楽しい時間でデコレーションされている
あの日がなければ
ツイッターを始めることもきっとなかっただろうし
新しい繋がりに気づくこともなかった
人は
いつどんな風に命を終えてしまうかわからない
わからないからこそ
大切だと思っていることを
出し惜しみすることなく
素直に
伝えていきたいと強く思う
それを薄気味悪がられても
受け取ってもらえなくても
伝えずに後悔するより
ちゃんと伝え続けていきたい
もう どんなに伝えたいと思っても
伝える手段さえない場所に
人は逝ってしまうのだ
わたしは彼女に
「いつもありがとう」って
ちゃんと伝えられていたかな…
「あなたが話を聞いてくれるから
わたしはこうしていられるよ」
って 伝えられていたかな…
後悔することばかりだけれど
もうこんな後悔だけはしたくない
大切な人たちに
大切だよって 伝えるように生きていきたい
今は その想いしかない
涙を流すのに
こんなに時間がかかっちゃってごめんね
どうしても乗り越えることが出来なくて
ずっと苦しい姿しか見せれてなくてごめんね
いつかまた逢える時が来たら
たくさんの想い出話をしよう
そして
勝手にいなくなってしまったことを
ちょっとだけ責めさせて欲しい
その日まで
楽しい話をいっぱい出来るように
楽しんで生きていこう